言語にとって美とはなにか (冒頭部分)

吉本隆明/初出「試行」(昭和36・10〜40・6)



     序

 もう可成りまえのことになるが、少数の仲間でやっていた雑誌『現代批評』に、「社会主義リアリズム論批判」という文章をかいたころから、わたしは数年のあいだやってきたプロレタリア文学運動と理論を批判的に検討する仕事に、じぶんで見切りをつけていた。そこで生みだされた少数の作品をのぞいては、この対象から摂取するものがなく、批判的にとりあげることが、いわば対象的に不毛なことに気づきはじめたのである。もうじぶんの手で文学の理論、とりわけ表現の理論をつくりだすほかに道はないとおもった。プロレタリア文学運動とその理論の検討という課題は、わたしにとってたんに文学の問題だけではなく、思想上のすべての重量がこめられていたので、ついにじぶんのやってきたことは空しい作業だったかという覚醒は辛いものであった。それゆえ、わたしの主観のなかでは、じぶんの手でつくりあげてゆかねばならない文学の理論は、とうぜん思想上の重荷をも負わなければならないものであった。その時期が、わたしの文学上の最大の危機であり、わたしは少数の言語理論上の先達にたすけられながら、まるで手さぐりで幾重もたちふさがった壁をつきぬけるような悪戦をつづけた。そして本稿によって、わたしは思想上の貴任を果しながらその作業をおえることができたのである。
 そのころ、少壮の才能ある批評家江藤淳が『作家は行動する』という優れた文体論を公刊した。

(続きは書店または図書館にて...)



近現代日本文学史年表