深夜の酒宴 (冒頭部分)

椎名麟三/初出「展望」(昭和22・2)



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 朝、僕は雨でも降っているような音で眼が覚めるのだ。雨はたしかに大降りなのである。それはスレートの屋根から、朝の鈍い光線を含みながら素早く樋へすべり落ち、そして樋の破れた端から滝となって大地の石の上に音高く跳ねかえって沫をあげているように感じられる。しかもその水の単調な連続音はいつ果てるともなく続いているのだ。ただこの雨だれの音にはどこか空虚なところがある。僕が三十年間経験し親しんで来た雨だれの音には、微妙な軽やかな限りない変化があり、それがかえって何か重い実質的なものを感じさせるのだが、この雨だれの音はただ単調で暗いのだ。それはそれが当然なのであって、この雨だれの音は、このアパートの炊事場から流れ出した下水が、運河の石崖へ跳ねかえりながら落ちて行く音なのだ。
 だが僕は、このアパートへ来て半年余りになるが、朝眼を覚すと、それが下水の音であると知っていながら、どうしても雨が降っているような気分から脱することが出来ないのだ。それほど僕のいるこのアパートには、あの雨降りの陰気な調子が建物全体に沁みわたっているのである。この建物は両国の運河沿いに焼け残ったただ一つの倉庫なのだ。このあたり一面の焼け跡には、バラックがあちらこちらに建っているのだが、その手軽な建物とは対照的に、この建物は現実のように重く無政府主義の旗のように黒く感じられるのである。

(続きは書店または図書館にて...)



近現代日本文学史年表