自由の彼方で (冒頭部分)

椎名麟三/初出「新潮」(昭和28・5〜29・2)



   第一部

     1

 僕は、古びた手札型の写真を一葉もっている。上半身を正面からうつした数え年十七歳の少年の写真だ。頭は五分刈で、額は、後年の特徴をすでにあらわして、広く生え上っている。ねずみにそっくりの臆病な眼、だんご鼻、やや大きい口、貧弱な耳。これらが小判型の小さい顔にくっついている。着衣は、白ワイシャツに白ズボン。そのワイシャツの袖は肘のところまでたくしあげられているのだ。
 これが山田清作という、僕の少年時代の写真である。だが、この写真が僕であるということに対しては、厳粛に拒絶せざるを得ない。僕は、この写真にだけではなく、僕の一切の過去の写真に対してそうなのである。それらは、いずれも犯罪と死の影をもっているからだ。あの殺人現場に残された死体写真に通ずる嫌悪をもっているからだ。たしかにこの少年は、明らかに僕ではない。僕の死体なのである。滑稽な、消え去ってしまった僕の死体なのだ。
 だが、この死体も、この写真のとられた一九二七年には、この地上を歩いていた。彼は、その前年、ある家庭的な事情から、田舎の母のもとからたずねて行った大阪の父の家をとび出していた。家出後は、そのころの家出少年のたどるコースを、彼も、実に順調にたどったのである。

(続きは書店または図書館にて...)



近現代日本文学史年表