牡丹のある家 (冒頭部分)
佐多稲子/初出「中央公論」(昭和9・6)
一
店先に夏蜜柑、ラムネ、駄菓子などを並べている土間の広い安宿や、荷車をつけたままの大きな牛がつないである軒の低い運送店や、肥料屋などのある駅前の通りを過ぎて間もなく村を出はずれると、もう左手は青々と麦のそよいでいる田圃であった。田圃は広く、中程には、その裾に沿って小川の流れている土堤道が太々と横に貫いていた。土堤の側面はびっしりと草がはえて青く、土堤の上をくるくると廻ってゆく自転車が微かに白い埃りを後ろに上げていた。ときどきその自転車のどこかに陽があたり銀色に光った。
右手は木の多い小さな山の連りが奥へのびていて、すぐまぢかの高い土堤の上に山陽本線がゆるくうねって、山の間へ曲がっていた。その土堤に女の子供達が二人、三人、陽を浴びて土筆を摘んでいる。
村を出はずれた道は、線路の土堤の下の、トンネルのように丸くくり抜いて煉瓦でかためた穴をくぐり、山の裾へ這入っている。道の片側にはここにも小さな溝川が流れ、澄んだ水がちょろちょろと音を立てていた。ゆるく登りになっているその道を少し奥へ入ると、左手に、米谷の家の桃山がある。
その道を、姉妹は山へ向かって歩いていた。七歳になる末娘のきぬ子は母親や長兄に似た色白な面長の顔を汗ばませて、何か摘みながらあとになり先になりした。
(続きは書店または図書館にて...)
近現代日本文学史年表