「木の船」のための素描


 乗組員はだれあつてこの船の全景を知らぬ

 一つ一つの船室は異様に細長い。幅と高さとが各3メートルで、長さは10メートルといつた具合に(そして1×1×3メートルといつた狭い室もある)。隔壁はすべて厚い槇の板で作られており、室によつては粗笨な渦巻あるいは直線と弧を組み合せた抽象図形が彫り付けられてある。そのような細長い室、大小さまぎまなそれらが、上下左右前後に連らなり積み重なつて、五十? 七十? その正確な数を知るものはいない。

 船外の景色を見たものもいない

 乗組員の生活は、これら細長い船室から船室へと移り歩くことによつて営まれている。廊下というものはなく(あるいはすべての室が廊下であつて)、船室は小さなドア(と、上下には梯子と揚げ蓋)で直接他の船室と通じている。ドアによつては鍵のかかつている(それも時によつて変るのだが)のもあるので、船全体はおそらく時間の中で一種の迷路を形づくつているのだ。ドアの向うには必ず船室があり、どこまで行つても「外部」へは達し得ない。結局は鍵のかかつたドアに行き当つて引き返す(だが、どこへ)のがおちだ。

 ここではいくつかの人間的欲望が失われている

 とりわけ食欲、排泄欲。そして好奇心も記憶力もおとろえている。船内には常に三十日分の食料が用意されているが、手をつけようとするものがない。時おり笑い、時おり大声で唄い、時おり泣き、たちまち忘れてしまう。

 これか船であるかどうかも疑わしい

 あるいは一つの世界と言つてもよいのではあるまいか。乗組員は船であることを固く信じているが、それはこの全体が波に乗つているように揺れ、嵐の時のように激しく右に左に傾くことさえあるからだ。また、これはごくまれだが、汐の香がかすかにすることがある。その香りはどうやら、ある一つの船室から洩れ出て来るらしいのだが、その船室、それは、

 決して入ることのできない船室

であつて、それと接する周囲の室にはすべて何とか出入りができるというのに、その部屋にはドアも揚げ蓋もないのだ。かつて一人の乗組員が辛うじて発見した小さな節穴からこの室をのぞいた。すると意外なことに、そこに、船室の内部に、海があつた。影深い峡湾、そこを黄色い幕を張りめぐらした屋形船が物凄まじい勢いで通つて行くのを見て、鳥肌立つ思いをした時、節穴は内側からぴつたりとふさがれてしまつた。以来、この室の内部をうかがい得たものはいない。

 鳥たちだけはまつたく自由に隔壁を通過する

  群をなした鳥は船室のあらゆる隔壁をそれが隔壁の亡霊にすぎないかのように自由に通りぬけて飛び去る。 さまざまな種類の鳥たち。サギ、カワガリ、カワセミ、スズメ、キジ。 まれにはハクチヨウ、そしてミソサザイ。 鳥の通つた直後の壁には、それぞれの鳥の形のうす黒い汚点(しみ)がしばしのあいだ残つており、壁一面が汚点でおおわれることもある。 羽毛が床に散り敷く日も。

 もし外部から見たとすればこの船は単に一個の木箱に過ぎない

 固く釘づけされた一個の木箱に黄色い麻布が幾重にも巻かれている。それが岩ばかりの国の果の、荒涼とした峡門を見おろす崖の上で、石の台座に据えられてかすかに腐臭を発しているのだ。



「声なき木鼠の唄」(昭和46)所収


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