叫び声 (冒頭部分)

大江健三郎/初出「群像」(昭和37・11)



   一章 友人たち

 ひとつの恐怖の時代を生きたフランスの哲学者の回想によれば、人間みなが遅すぎる救助をまちこがれている恐怖の時代には、誰かひとり遥かな救いをもとめて叫び声をあげる時、それを聞く者はみな、その叫びが自分自身の声でなかったかと、わが耳を凝うということだ。
 戦争も、洪水も、ペストも大地震も大火も、人間をみまっていない時、そのような安堵の時にも、確たる理由なく恐怖を感じながら生きる人間が、この地上のところどころにいる。かれらは沈黙して孤立しているが、やはり恐怖の時代においてとおなじく、ひとつの恐怖の叫び声をきくとその叫びを自分の声だったかと疑う。そしてそのような叫び声は恐怖に敏感なものの耳にはほとんどつねに聞えつづけているのである。かなり以前のことだが、僕もまたその叫び声を聞く者のひとりだった。僕は二十歳で、おなじ年頃の二人の仲間といっしょに、若いアメリカ人の家に同居して暮していた。それは僕の《黄金の青春の時》だった。
 僕をふくめて三人の若い同居人みんなに、はじめて黄金の青春の時がおとずれていたといったほうがいい。それにこの若いアメリカ人も、僕らとの共同生活を深く楽しんでいて、僕らの共同の家は、陽気で上機嫌で満足の気分のなかにあった。

(続きは書店または図書館にて...)



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