「慷慨談」の流行 (冒頭部分)
花田清輝/初出「中央公論」(昭和35・4)
「海舟座談」のなかのあちらこちらで、勝海舟は、しきりに「機」という言葉をつかっている。たとえは「それ御覧ナ、機があるのだもの、機が過ぎてから、なんといったって、それだけのことサ」といったふうに、である。「機」とは何か。たぶん、機会だとか、機運だとか、機勢だとか――要するに、一つの時代がおわって、つぎの時代へ移行しようとするさいのキッカケのようなものを指すのであろう。機会の前髪をつかむということ。機略、機謀、機数のありったけを動員して、あざやかに機先を制するということ。――どうやらかれは、政治家の第一課というものを、そんなものだと考えていたらしい。別のくだりでは、さかんに「機」の移り変りのぐあいを知らなければならない、と強調しながら、「そのぐあいを、ちゃんと知っていると、政治のアンバイが造作ないのだ。ワシはもと西洋人のいった七年一変の説ネ。アレを信じているのだ。どうも七八年乃至十年にして人心が一変するよ」と断じている。そのくせ、さらにまた、他の箇所では、「機は感ずべきもので、いうことのできず、伝達することのできんものです」などといって、聞き手を煙りにまいている。
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近現代日本文学史年表