◆第54回芥川賞受賞作−昭和40年下半期−
高井有一「北の河」 初出「犀」(昭和40・8)
◆受賞作・冒頭
東北に冬は早かった。昭和二十年、初めて雪が来た日の寒さを私は憶えている。短い日の落ち切る一時間余り前から降り始めた雪は、朝からの風に吹かれ、板葺の上に石を置いた家の屋根に落ちては舞うように見えた。しかしそれは長くは続かず、七時過ぎから霙に変った。どの家も早くから雨戸を閉て切り、町の闇は殊更に深かった。
翌る朝は雨が尾を曳き、絶え間なく町を包むように降った。母の遺骸が町から離れた河下の洲に打上げられたと知らされたのは、朝九時頃である。
三日前の未明に、母は失踪した。朝早くまだ陽の差さぬ内に私は一度眼をさまし、この時、枕許の有明の光で母が牀にいないのを見たように思う。しかし私はまたそれから浅く眠った。再び眼を開いた時には、陽が雨戸のあらゆる隙、節穴から差込んで、朝は珍しく晴れているらしかった。その光の一条が母の牀の中央に落ち、それに促されるように私は急速に醒めて行った。前夜母は確かに私と同じく牀に入ったが、朝の母の牀に人の寝た名残りは跡形もなかった。私は身を起して、長い間、敷布の隅ずみまで気を配って整えたような母の牀を見ていた。
それから三日間の事を、私は正確に記憶していない。
◆候補作
浅井美英子「阿修羅王」
大西兼治「お迎え待ち」
島京子「渇不飲盗泉水」
長谷川修「孤島の生活」
小笠原忠「鳩の橋」
森万紀子「距離」
なだいなだ「童話」
渡辺淳一「死化粧」
◆選評(抜粋)
滝井孝作
高井有一氏の「北の河」は、こんどの予選作九篇の中では、私はこれが一番よいと思った。昭和二十年の春、東京から十五歳の息子とその母と二人が、東北の大河のほとりの町に疎開して、終戦後の初冬に、母は息子一人をのこして河に投身自殺した。その当時の息子の思出の記だが……。読後私は何か憐れな感じがした。
石川達三
「北の河」を私は積極的には推せなかったが、特に反対はしなかった。他の委員諸君もみな指摘したように、欠点がはっきりしている。しかし筆力もあり一種の感絡もある。何よりも作者のまじめな態度が良い。(中略)「北の河」は地味で、あまりにまっとうで、これは賞にはなるまいというような予想があったらしいが、芥川賞は新しい文学を待望するとは言っても、奇をてらうものではないと私は思っている。
川端康成
なだいなだ氏の「童話」の鮮明な手腕に、私は一票を投じたわけであった。なだ氏はすでに特色ある才能を認められている人である。この「童話」でも、ビーというオランダの巨人の造型もさることながら、ところどころの自然風景の短い描写などに、すぐれたものが見える。作者はこのような野性素朴の巨人に、寓意を托して「童話」と題したのかもしれないが、それは別としても、私はおもしろく読んだ。
丹羽文雄
「孤島の生活」は、「北の河」と正反対で、奔放な、野放図なくらいの態度に私は心をうたれた。これを当選作として敢えて推したが、私自身の中の反撥心がそうさせたものであった。この小説には、夢がある。日本の文学には、この種の夢がなさすぎる。絶望や虚無はお好きだが、人間が生きていく上には、もっと他の要素も大切であることが、この小説で教えられた。
石川淳
今回の銓衡はわたしとしては該当作品なしとするほかない。候補作品のそれぞれについて、なにかいうことはできるが、いってもムダのような気がする。しかし、小さい世界のことにして、まあまあと見られるものがないわけでもない。すでに賞という仕掛があり、ここに半年のあいだの実績がある。どれか一篇を取って賞にあてることには、わたしも異存をとなえるほどではない。
井上靖
「北の河」は文章も確りしており、浮いたところや背のびしているところのないのがよかった。母の死の理由がはっきりしていないのはこの作の大きい欠点となっているが、そうした欠点を持ちながらもなお、作品のこころだけはこちらに迫って来るようなところがある。この作を第一位に推したゆえんである。
中村光夫
高井有一の「北の河」は、素朴で幼椎なところもあるような筆づかいで、小説の技術もうまいとは言いかねます。(中略)単純すぎて、ものたりぬ点はあっても、効果をあてこんだ芸と工夫ばかり氾濫するなかで、珍しく、澄んだ心が感じられる作品です。恐らくこの作者は、周囲がどうあろうと、自分のテーマだけをケレン味なく追い続けるでしょうが、それはそれでいいのだと思います。
舟橋聖一
高井有一「北の河」は哀愁ある佳品である。ことに河の中洲に母の遺体が流れついて、その顔をたしかめるために、俯伏せになっているのを仰向けにするとき、頭の部分が石に当って鋭く鳴るあたりの描写力は、印象いとも鮮やかである。もっとも半分以上はフィクションだろうから、いっそ息子の年齢を十八位にすれば、もっと背景や周囲が鮮明になり、母との心理も生々しくなって、ちょっとした傑作が生れたかも知れない。
永井龍男
「孤島の生活」と、「阿修羅王」の作者は、共に相当な才人である。「阿修羅王」は結末の手落ちが大きいので、「孤島の生活」と「北の河」を、私は最後まで残した。「狐島の生活」の軽さを指摘する人が多かったが、今後もこの作家はこの軽さを生かす処に道があると思う。
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