◆第109回芥川賞受賞作−平成5年上半期−
吉目木晴彦「寂寥郊野」 初出「群像」(平成5・1)
◆受賞作・冒頭
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一九九〇年十月二十三日、四日続きの細い雨が水はけの悪い庭土に溜まって、芝生一面を湿原に変えてしまったその日、幸恵は、満六十四歳の誕生日を迎えた。
前の週の金曜日に、夫とニューオーリンズまで出かけ、用をすませて家に帰り着いた夕方から、雨が降り始めた。まるで、日本の梅雨のようだった。透き通った晩秋の陽射しの下で息を休めていたバトンルージュの街を、鉛色の雨雲が覆い、冷たく湿った空気の底に、州都全体が閉じ込められてしまった。この分では、悪魔の沼(デビルス・スワンプ)の対岸にある、ベルモントの荷揚げ場や、混血児の荷揚げ場(ミユラトウ・ペンド・ランデイング)は、閉鎖されてしまうだろう。市街でも、土地の低いところでは、そろそろ道路まで、雨水に浸されているかもしれない。
「一九六七年に大雨があって、ダウン・タウンの辺まで水浸しになったことがあったわね。覚えている?」
食堂のテーブルに陣取って、古い友人へ宛てた手紙を書いている夫に、訊いてみた。
「そんなことがあったかな」リチャードは生返事をした。「随分、以前の話だろう」
「私は覚えているわ。グリーンデールに住んでいた頃よ」
◆候補作
角田光代「ピンク・バス」
塩野米松「オレオレの日」
久間十義「海で三番目に強いもの」
村上政彦「分界線」
河林満「穀雨」
◆選評(抜粋)
大江健三郎
吉目木晴彦氏の『寂寥郊野』は、文体も安定したこの作家の持味のままで――それだけに、新人らしい魅力に欠けるという声もあった――、着実な成果をあげている。とくにアメリカ人と結婚して老年をむかえた日本女性が、夫とも、また息子の嫁とも、じつにクッキリとした対立をあらわす両シーンは、そのような個人の対立が描かれることの少ない日本文学において、個性確かな新人の出現といえよう。
日野啓三
吉目木晴彦の「寂寥郊野」を読みながら、帰国子女と呼ばれる人たちの感性、性格のことを改めて考えた。同じ外国帰りといっても、私のように旧植民地からの引き揚げ者、いま四十代に多いいわゆるヒッピー世代とは異る新しい日本人のタイプだ。(中略)すべての帰国子女がそうではないだろうが、このような新しい文学が育ってきたこと、それがほぼ全員の選考委員たちに認められたことを私は喜ぶ。
大庭みな子
「ソリテュード・ポイント」はアメリカの実際にある場所かどうかはわからないが、「寂寥郊野」はよい題名である。アメリカならずとも、現代、大工業主義的な生き方をする国の寂寥感が伝わってくる。登場人物の間をわたる寒々とした寂しい風の音が聞こえる。苦しんだいろいろな記憶が遠ざかり、ボケた日本人妻が、夜更けに焚火をする炎が狐火のように見える。現代文学の灯と言える作品であろう。
古井由吉
今回はまっすぐに、吉目木晴彦氏の「寂寥郊野」を推すことができた。落着いた筆致である。急がず迫らず、部分を肥大もさせず、過度な突っこみも避けて、終始卒直に、よく限定して描きながら、一組の老夫婦の人生の全体像を表現した。なかなか大きな全体像である。しかも、たっぷりとした呼吸で結ばれた。主人公夫妻の、意志の人生が描かれている。このことは私にとって妙に新鮮だった。
吉行淳之介
「寂寥郊野」(吉目木晴彦)と「穀雨」(河林満)の二作が、最後に残った。私はその両方にマルを付けていた。前者の題名からは厭な気配を受けたが、アメリカ深南部、ミシシッピ川の河口近くにソリテュード・ポイントという地帯があり、その訳語でもあることを知って納得した。「穀雨」とは知らない言葉だったが、良い題名である。辞書で調べて、この言葉をアイロニーとして使っていることが分った。
田久保英夫
今回は相当割れて、難航するのではないか、と思っていたが、意外に一作に点が集まり、順調にきまった。受賞作の吉目木晴彦氏の「寂寥郊野」は、米国ルイジアナ州のバトンルージュ市に住む老アメリカ人の農薬汚染と、日本人の戦争花嫁で、その妻の痴呆の問題が、扱われている。作者は米国の現地に、濃い土地感覚もあるようだが、さらに資料も使って、この夫婦の追いつめられた状況を、冷静に描ききっている。
黒井千次
アメリカを舞台とし、アメリカの男性と結婚した日本人女性を描く新人の小説はこれまで幾度か読んで来たが、吉目木晴彦氏の「寂寥郊野」は、その中でも際立った作品であるといえよう。(中略)アメリカが捉えられると同時に、日本の影も刻まれている、静かな奥行きを持つ小説である。
河野多恵子
吉目木晴彦氏の「寂寥郊野」を推した。(中略)描かれているのは、まさしく、あるカップルの――それも豊かな物語の印象が強い。その夫、その妻をはじめ作中人物のそれぞれに人間としての誇りを見出しているからである。つまり、人物を人格において捉えて、みごとに成功している。日本文学としては、こういう例はまだ少く、そもそも未発達の分野である。すぐれた前衛作品が出現した。
丸谷才一
『寂寥郊野』はいちおう恰好がついてゐるし、手堅く書いてある。態度もまじめだし、いい加減なところがない。好感を持たれるのは当然だが、しかしわたしはむしろそこに不満を感じた。色調が全体にくすんでゐて、派手なところがまるでないのである。題材が題材だからかうなるのは当り前といふ弁護も出さうだが、しかし本当は、暗い題材であればあるほど何か花やかな要素がほしくなるのが小説家ではなからうか。
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